三日坊主3号

どーも、上高地の大自然を感じて禁煙を決意(もらいタバコはおっけ)した田村啓です。


で、建築の力について書きます。

新建築2008年6月号に内藤廣の「建築の力」という記事が載ってました。

最近自分は「建築の力」なんて無いんだと思ってました。
近代建築が建築界という名の小さな小さなサークルでのみ評価されている現実。
それに気づいとるのに何もしない建築家。
建築家は本当は社会的な仕事なのに、それを放棄してしまっている建築家。
自分で問題を作ってそれを解いて、さも社会貢献してるかのような建築家。
そんなんばっか。
そんな馴れ合いの建築界が大嫌いで、口先だけの世界が大嫌いで、建築に力は無い、あったとしてもきっかけ程度でしかないと思ってました。

でも違った。そうじゃない。

内藤廣はそういう「内向きの作品主義に走る建築家」達(自分を含めて)を痛烈に批判した。
「建築の本懐はその誕生にあるのではなく、その後、時代と共に生きていく時間の中にこそあるはずではないか」
まさにそうじゃと思う。

今までの近代建築は「建築の力」を外に向けず、そのベクトルを内側に向けていた。
じゃけえ建築の力は外に出てこない。建築にある力を封じ込めとった。
建築の力を恐れとった。「内向きの作品主義」が評価される世界じゃから。

「大衆に迎合するのではなく、その心から望まれるもの、それと建築家が実現しようとするもの。そのベクトルが一致するとき、建築は街を変え、人々を変えていく力となる。」

メディジン市ベレン公園図書館に出会えた内藤廣は本当に幸せじゃと思う。
うらやましっす!!

建築家は技術と知識をもっとんじゃから、もっとそれを社会に対して使っていかんと。
問題は自分で作るんじゃなくて、社会の中に存在しとる。
それを解決しよう。

ファシズムに利用された建築は建築の力を最大限利用しとった。それは間違った形じゃけど、建築の力の存在を肯定する史実。ある意味すげー。

エゴはやっぱり建築家のすることじゃない。建築に対して「作品」なんて呼び方はやっぱおかしい。

いままで自分が考えとったことは間違いじゃなかった。
とりあえずそれは良かった。

エゴか社会性か。

こんなん愚問っす。

確かに建築は芸術作品としての価値を評価されてきたけど、それじゃダメ。

デザイナー達はすでに気づいとる人がぎょうさんおるで。

建築家も変わるべき時がやってきたと思います。  


Posted by team HACILA. 2009年04月30日01:36 | Comment(1) | 日記

三日坊主2号

すまぬ

続けることって大切やんな。

今日は飯田にいってきた。

飯田は長野で2つしかない小京都の1つらしい。

そこでやっとった取り組みに興味もったでかくわ~

飯田の中心地は碁盤の目状に敷地がわけられとんのやけど

それぞれの人が1mずつ敷地を空けて小道をつくっとったんさ

これは密集地における避難経路確保のためらしい。

一直線に100メートル以上ある小道が何本もあった。

なんかみんなが協力して取り組んだっていうんがすごいな~て思った。

都会じゃできやんし。

その小道は「裏界線」っていうらしくて立派な碑もたっとるんやけど

小道自体は何も整備されてなくてポツポツ生活感がでとって

なんかそこがいいな~って思った。

ほどよい距離感、ほどよい生活感、人間くささが感じておちついた。

こんなプチ発見に感動した一日でした。

チャンチャン


  


Posted by team HACILA. 2009年04月30日00:13 | Comment(0) | 日記